先日、ヤフーニュースを見てこの問題を知りました。私は岩手県陸前高田市在住の者です。

東日本大震災の大津波により大変な経験をしているので、この湯河原中学校の問題について黙っていられなくてメッセージとして送ることにしました。


先ずは、東日本大震災に際しまして、被災地に救援物資、支援物資や義援金をお送りいただいた方、ボランティア活動など支援活動により直接被災地を訪問支援していただいた方、何かしら被災地に関わりを持ち行動していただいた方すべてのみなさんに、心より感謝と御礼を申し上げます。皆さんの『かゆい所に手が届く以上の隅々まで行き届いた支援』に感激するとともに沢山の支援により、勇気と元気をいただき前を向くことが出来ております。誠にありがとうございました。


私たちは、子供たちを学校に通わせる際、授業やカリキュラム、体験学習など様々な授業を
受けることにより、将来社会に貢献出来る大人になるための教育を受けさせる場として学校へ通わせていると思います。

学校は、教育を受ける以前に子供たちの命を守り、安心して教育が受けられる安全な場所でなければならないはずです。


湯河原中学校は海の直ぐ側にありますね。これは、高台に学校を移すべきです。
私達の学校のことを例に挙げて述べさせていただきます。
私達の地域の中学校は、海抜0メートルの川の河口にあり、海の目の前に建っていました。

30年の3階建ての校舎で、全校生徒90人位の学校です。
私たちの地域の中学校は、大津波により屋上まで津波が襲い水没しました。校舎は残っていますが、
教室は所々打ち抜かれています。学校内にあったものは殆んど流されてしまいました。

体育館は、津波により跡形も無く破壊されました。校庭は、一番海側にあるテニスコート3面は、堤防が決壊したため土をえぐりとられ、海の波打ち際となりました。


生徒は、地震発生時、体育館で卒業式の練習中で、体育館サイドのギャラリーが崩落したので、
本来は津波注意報や警報が発令になった場合に避難行動を取ることになっていましたが、先生の指示に従い、直ぐに避難場所まで走って逃げました。引き潮が凄かったので、更に高台へ避難して全員無事でした。子供達はその場で津波襲来の様子を見ていましたが、津波がものすごい勢いで町を襲いかかる様子を見ているうちに、恐怖と家族を心配して女子生徒が泣き始めた為、先生方が生徒全員を杉林の中に移動させて、津波を見せないようにして薄暗くなるまでその場で避難しました。その後、地域の人たちの誘導により、山道を歩いて学校から1キロ離れた所にある公民館に移動して、二晩過ごすことになりました。電気は停電しており、また、雪が舞っている状態でストーブや毛布は付近の家からかき集め、毛布や布団は23人で一枚使う状態でした。先生方も地域の人たちと協力して炊き出しなどを行いました。中学校の北700800メートル離れた場所にある小学校も3階まで津波が押し寄せ、小学生と小学校に隣接する保育所の子供達も山道を移動して同じ公民館に避難してきました。(小学生、保育所の子供達は全員無事です)被災住民も含めると1300人の人たちが公民館に避難してきました。小さな公民館のため、近くのお寺と神社に分かれて避難生活が始まりました。

親の多くは、子供の無事を確認するにも、公民館に通じる道路が津波により寸断して行くことが出来ずにおりましたが、翌日、翌々日に公民館に迎えに行くことが出来て、自分の子供を見つけると抱きあう光景がそこにはありました。


小中学生は、二晩公民館等に避難して、公民館から1キロ南にある、高台にあり難を逃れた小学校に移動しました。家を流され、避難先がない小中学生は、その小学校に家族とともに避難することになりました。

先生方も家に帰らず、子供の様子を見ながら一緒に避難生活をしていただきました。校長先生が長く、2週間子供達に寄り添って頂きました。先生方の中にも家族を亡くしたり、家を流されるなど大変な思いをしている状況の中、子供達に寄り添ってくれました。感謝の念で一杯です。


私達地域の北側にある小学校の津波襲来時の様子を述べますと、海から700800メートル離れており、
古い町並みが残る中心地に学校があり、過去の大津波に遭遇しなかったこともあり、校庭に避難しておりました。地域住民も多数避難しておりました。防災無線で、津波が堤防を越えました。更には、近くの川の堤防を越えましたとの放送を聞き、様子を見ていた先生が機転を利かせて、学校脇の急な山を、初めに56年生に草を踏ませながら登らせ道を作り、そのあとを1年生から順に山を登らせました。

低学年は、恐怖のあまり泣き出す子もおり、励ましながら急ぎ登らせたそうです。全員登りきった所へ津波が校庭に勢いよく流れてきて、間に合わなかった地域の人たちが津波に呑まれ流されて行ったそうです。

その様子を子供達が見ていたそうです。見た子供の中には、ショックのあまり一週間も口を開かなかった子もいたと言う事でした。

小学校に通う子供達は、現在でも自宅から通う子供は1人も居ません。小学校学区内の家屋は、97%津波により流されました。現在は、同じ中学校区内の南側の小学校に間借りする形となり、スクールバスで通い、

一緒に勉強しています。教室にはそれぞれの学校の先生二人で授業をしています。

来年度、統合することになっています。

南側の小学校でも半分の子供達が家を流され、仮設住宅、借家で生活しております。
私の家は幸いにも高台にあり難を逃れることが出来ました。しかし、親類に多くの犠牲を出しました。

職場も被災しました。

私達の中学校は、8割の生徒が家を流されています。

中学校では、校内に有った書類、パソコンなど全てが流失しており、卒業間じかの3年生は内申書など、
小学校からの様々な記録簿が全くなくなった状態です。娘は2年生までのものがありません。


学校は被災して使える状態にはなく、市内の山間にある22年度で廃校となった中学校を間借りして
授業を受けています。生徒はほぼ全員スクールバスで30分かけて通学している状態です。

避難する時はジャージ着用していたため、制服もないため、県内、県外の2校からその年の卒業生から支援していただきました。ほか色々な物を救援物資としていただき、しのいだ状況でした。

部活は、近隣市町に移動して練習しました。


遡る事、私が中学3年の時に建設された校舎です。当時、校舎を新築するに当って、隣接する山を削って
海抜20メートル以上の場所に建設する話がありました。津波を想定してのことでした。

しかし、旧校舎を解体して、その場所に建設されました。中学生でありましたが、移転候補地の用地買収交渉がうまく行かなかったために現在の場所に建設することになったと、大人たちから聞かされました。このように学校が被災して、当時、なぜ用地買収交渉が不調に終わったか、

事情をしっている人たちは悔しい思いで話をしています。
この地域は、昔から津波を何度も経験しているのに、残念な結果であります。

海抜7メートルに立地している学校だから、想定浸水高6.8メートルの津波の影響は受けないと言って
いるようですが、今回の東日本大震災の大津波が人間のキャパシティを超越した大津波となり、甚大な被害を受けています。陸前高田市のハザードマップでは、市中心部では、50センチメートルの浸水想定でした。実際は、4階建て市役所の4階まで津波が襲い、屋上に避難した人が辛うじて助かっています。

市役所と隣接する市民会館は避難場所に指定されていましたが水没。また、約200メートル離れている市民体育館も避難所に指定されていましたが、この3施設に避難した人たち、300人弱の方々が津波により

犠牲になっています。陸前高田市は、死者、行方不明者約1800人になります。


今まで、津波避難訓練をしたことが無い地域まで津波が襲っており、多くの犠牲者を出しています。

こちら三陸では、明治29年、昭和8年の大津波を経験して海抜20メートル以上の場所に町ごと高台移転した
ところがありますが、今回そのある町にも津波が襲い被害を受けています。



現実に、想定以上の津波が来て、湯河原中学校と同じ状況に有った私達の地域の中学校が申し述べました
とおりの状態となりました。


絶対はありません。

釜石の小中学校では、群馬大学の教授を招いて防災教育が行われており、子供達に想定に捉われないで
避難行動を取りなさいと指導していたそうです。釜石市の中心部にある釜石小学校の半分くらいの子供達が、

地震発生当時下校しておりましたが、この教育を実践することにより、家族を救うことにもなり、全員無事でした。

釜石の奇跡として全国に知られています。


現在の湯河原中学校において、津波警報、注意報が発令された場合に、屋上に避難するマニュアルになっているようですが、東日本大震災に照らし合わせた場合に、屋上に避難して助かった学校もあります。
しかしながら、一晩屋上で過ごして、翌日明るくなってから避難所等安全な場所に移動しています。夜は雪が舞い、急ぎ避難したために上着を着ないで暖を取るすべも無く寒い思いをして避難しています。津波が町や周囲を凄い勢いで襲っている所を子供達は見ています。自分の生死とともに恐怖心に襲われているのです。
実際、こちらの中学生が高台に避難して津波襲来を見た子供達の中にはPTSDになった子供も居ます。
先生方もです。他の学校でも同様のようです。現在、各学校には常勤と巡回の心理カウンセラーが2人配置されて対応しています。ある小学校では、一度屋上に避難したあと、高台避難に切り替えて全員助かりました。その小学校は3階建ての校舎でしたが、結果的に屋上まで津波が襲い水没状態となったそうです。
人間の想定をあざ笑うかのように津波は襲ってきました。このように海のそばにある学校がいかに危険かお分かりいただけたでしょうか。第2、第3・・・・第6、第7・・・の大川小学校になる可能性のあった学校は被災地には少なくなかったのです。先生方の避難マニュアルに無かった機転の利いた行動により、多くの子供達の命が救われたんです。将来を見据えて、安全な場所に学校を移転して、防災機能を
持った地域の避難場所にしたほうが多くの人命を救う事になると思います。どのようにお考えに
なりますか。

 

国道を横断する時に逃げようと必死になっている車が止まってくれますか。

こちら被災地では、避難する車で渋滞が発生した時、交差点で右折しようにも出来なかったそうです。
車で避難する際、事件、事故扱いになりませんでしたが、醜い話もあります。

もし、先見の明が有って学校が高台に移転していたならば、子供たちが命の危険を感じる事無く、
また、避難場所となっていたであろう中学校に避難した地域住民をどのくらい救えたであろうと思うと悔しくも感じております。


子供たちの命を第一に考えて、行動してもらいたいものです。

教育委員会や議員の皆さんには、是非、被災地を訪問していただき、実情を見て学んで頂きたいと思います。

 

皆様の活動が、将来を担う湯河原の子供達の安全を取り戻せるように心よりお祈りしております。

 

がんばって下さい。