関東大震災、湯河原の記録

関東大震災とは、192391115832秒、神奈川県相模湾北西沖80震源として発生したマグニチュード7.9関東地震による地震災害である。

津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。

揺れの様子を細かくみると、本震による強い揺れは、30秒から1分間位続いたものと推定される。神奈川西部では5分目頃に強い揺れが襲ったことが分かってきた。断続的なマグニチュード7クラスの強い揺れで被害が拡大した。翌年1月15日の丹沢の余震まで、合わせて6つのマグニチュード7クラスの地震が発生した事から、最低半年間は大きな被害を出す可能性の余震に対する備えが必要である。

湯河原町での被害状況をまとめました。


家屋倒壊

土肥村(宮上、宮下、門川、城堀) 総戸数610戸、全壊172戸、半壊156戸、合計329戸

吉浜村 総戸数605戸、全壊304戸、半壊298戸、合計605

福浦村 総戸数160戸、全壊25戸、半壊111戸、合計142

特に被害が集中したのは、門川地区、2件を残し、ほとんどの家がやられ、死傷者も多かった。

福浦、川堀は地盤が固く、被害が少なかったが、崖崩れなどを起こした個所もあった。

吉浜村では新築したての吉浜小学校が倒壊。盛り土であったため校庭が波打ち、地割れ発生

宮下の五所神社上の地域は地盤が堅く被害は少なかった。

 

地震による被害状況

土肥村、総人口4,615名、潰死28名、不明9名、合計37

吉浜村、総人口3,725名、潰死38名、不明3名、流死1名、合計42

福浦村、総人口1,116名、潰死20名、合計20

 

崖崩れ

幕山が大崩壊してくずれた土砂が新崎川上流・紅葉の渡場付近で流れをせき止め、周囲約1町(約110m)深さ約20尺(約6m)の池がにわかに生じた。その後の度重なる豪雨などで、池は消滅しました。

 

津波

岩村、真鶴、吉浜、福浦を津波が襲い、特に真鶴の被害が大きかった。

吉浜海岸は地震が起きて間もなく海水が増加し、一時は県道まで海水が上がってきた。(第1波)しかしすぐに減水して遠く2町(約220m)余り水が引き去った。その後、10分もしないうちに津波が押し寄せ(第2波)、堤防を乗り越えた波は吉祥院の屋根を越えた。津波は道沿いの家の、屋根の下あたりまで来て、60戸あまりが流失。新崎川を上がって行った波は、鍛冶屋の東海道線のガード付近まで行きました。水が引くとき、ゆっくり引いたので、家は流されませんでした。急に引いていたら、流されていた事でしょう。

また、吉浜海岸は地盤が隆起して、現在のような広い砂浜になりました。

 

津波は海底の地形の激しい上下振動が海面に同程度の凹凸を生じさせ、これが波となって伝わり、海岸近くの浅いところで高さを増して押し寄せてくる。大きな津波の先端部のスピードは毎秒10mにもなるので、逃げるのは難しく、破壊力も大きい。また、非常に短い時間で津波が来るわけで、津波警報は間に合いません。関東大震災では海嘯が、第一震と同時に起こったものの如くであったと言われている。また、第一波よりも第二波の方が大きかった。

湯河原町の津波は比較的小さかったと言われていますが、鎌倉で10m、熱海で12m、房総半島の相浜で9.3mと、甚大な被害をもたらしました。

 

 

参考資料

関東大震災その時、西相模は 著/横山正明

写真が語る湯河原今昔 発行/湯河原町立図書館

郷土湯河原II 湯河原町教育研究会編 発行/湯河原町立図書館

湯河原と津波 発行/湯河原町立図書館

関東大震災 ウィキペディア日本語版 

他、

 

おぼえていてほしい津波の恐怖

大震災を経験した私達。

あの経験から私達は何を学びとったのか

 

最高で40メートルに達した”というニュースが繰り返されていく中で、津波は10メートル、20メートル、時には40メートルにも達するものだ、それが日本人の常識になってしまった。1メートルは何だかとても小さい、大して危険ではないものに思える、そう理解してしまったのではないか(東京大学地震研究所 大木聖子助教)

 

わずか60センチの津波で成人男性は立っている事もできない。

1メートルの津波で木造家屋は半壊

2メートルの津波で木造家屋は全壊

3メートルの津波で2階に逃げるのは非常に危険です。